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| 年度 | 氏名 | 寸評 |
|---|---|---|
| 1989 | 島 秀之助 | 金鯱結成時は助監督兼選手、12年秋に盗塁王。翌年審判員に転向、正確なジャッジに定評があり、2605試合に出場。 |
| 野村 克也 | 40年に南海で戦後初の三冠王。45年からは監督兼捕手を8年つとめ48年にリーグ優勝。3017試合出場の日本記録を持つ。 | |
| 野口 二郎 | 14年セネタース入りし、その年33勝するなど通算237勝。17年には延長28回完投、21年には打者で31試合連続安打。 | |
| 池田 恒雄 | 昭和12年に雑誌「野球界」の編集長、21年にベースボールマガジン社設立。野球書を多数出版し球界に貢献。 | |
| 伊達 正男 | 昭和6年春の早慶戦に早大のエースとして3連投。6、9年来日の全米チームに対してもあわや勝利の好投した。 | |
| 1990 | 真田 重藏 | 昭和25年、松竹のエースで39勝(セ記録)あげ優勝に貢献。ノーヒットノーラン通算2度、通算178勝。 |
| 張本 勲 | 首位打者7度、通算3085安打のプロ野球記録保持者。昭和34年新人王、37年にはMVPになっている。 | |
| 佐伯 勇 | 近畿日本鉄道の社長。近鉄のオーナーとして36年間リーグ反映に情熱を注いだ。 | |
| 1991 | 牧野 茂 | 巨人9連覇の頭脳と言われた名ヘッドコーチ。 |
| 筒井 修 | 出場試合3451の名審判。 | |
| 島岡 吉郎 | 明大監督を37年間務めリーグ優勝15回。 | |
| 中沢 良夫 | 京大名誉教授時代から中等野球大会にたずさわり、高校野球連盟の会長を19年間つとめた。 | |
| 1992 | 広岡 達朗 | 昭和29年、巨人入りし新人王、名遊撃手としてファンを魅了。監督としても53年ヤクルト、57、58年西武を日本一にした。 |
| 坪内 道則 | プロ野球草創期の中日の名外野手、1000安打、1000試合出場の第1号。 | |
| 吉田 義男 | 盗塁王2度、ベストナイン9度の名遊撃手。昭和60年阪神監督で21年ぶり優勝に導いた。 | |
| 吉田 正男 | 中京商3連覇のエース、明大、藤倉電線でも優勝。 | |
| 1993 | 稲尾 和久 | 昭和31年から33まで西鉄3連覇の大エースで神様、仏様、稲尾様と讃えられた。32年に20連勝、36年42勝など通算276勝。 |
| 村山 実 | ザトペック投法と呼ばれた力投型の投手。阪神のエースとして巨人の王、長嶋と数々の名勝負を見せた。通算222勝。 | |
| 1994 | 王 貞治 | 昭和34年に早実から巨人入り。一本足打法で868本塁打をマーク。本塁打王15回、48、49年と2年連続三冠王に輝く。 |
| 与那嶺 要 | 昭和26年に戦後の米国籍選手第1号として巨人入り。首位打者3回、MVP1回。49年には中日監督として優勝。 | |
| 廣岡 知男 | 市岡中で甲子園出場。東大では昭和6年秋に首位打者を獲得、全日本アマチュア野球連盟会長としてアマ球界の発展に尽力。 | |
| 1995 | 杉浦 忠 | 立大から南海(現ダイエー)に入団。27勝をあげ新人王。巨人との日本シリーズ4連投、4連勝は語り草。 |
| 石井 藤吉郎 | 早大時代、投手・四番で活躍。早大監督としても5度リーグ優勝。アマ球界の発展に尽力した。 | |
| 村上 實 | 阪急(現オリックス)の創設者。2リーグ制の確立などプロ野球界の発展に尽した。 | |
| 呉 昌征 | 戦前巨人の外野手として活躍。攻守走、三拍子そろったプレーで“人間機関車”の異名をとった。 | |
| 1996 | 藤田 元司 | 昭和32年に巨人入り、17勝し新人王。33、34年には連続MVP獲得。巨人の監督を7年間務め4度リーグ優勝、2度日本一。 |
| 衣笠 祥雄 | 昭和40年、広島入りし、50年初優勝に貢献。84年打点王獲得でMVP。45年から62年めで2215試合連続出場のプロ野球記録。 | |
| 牧野 直隆 | 慶大から鐘紡に入社。都市対抗では選手として1度、監督として3連覇。昭和56年から高野連の会長に就任し発展に寄与。 | |
| 保坂 誠 | 昭和25年に(株)後楽園に入社。53年に社長就任し、人工芝、オーロラビジョン、日本発のドーム球場を建設した。 | |
| 1997 | 大杉 勝男 | 東映、ヤクルトで通算486本塁打。本塁打王、打点王各2度。昭和53年日本シリーズMVP獲得。 |
| 山本 英一郎 | アマチュア野球一筋で野球の五輪正式競技入り実現に尽力。野球の国際化とプロ、アマ協調の推進役となる。 | |
| 年度 | 氏名 | 寸評 |
| 1998 | 中尾 碩志 | 通算209勝は巨人の左腕投手で最多。昭和15,16年に連続26勝。23年には27勝でタイトル総なめで沢村賞受賞。 |
| 井口 新次郎 | 旧制和歌山中時代に2年連続全国制覇。早大でも活躍し、後に毎日新聞に入社し高校野球の発展に尽力。 | |
| 1999 | 中西 太 | 日本人離れした長打力で昭和28年をはじめ計4度の二冠王に輝き西鉄黄金時代を築いた。38年には監督兼選手で西鉄を優勝に導いた。 |
| 広瀬 叔功 | 快速選手として南海黄金時代の名リードオフマン。5年連続盗塁王、通算596盗塁は歴代2位。39年には首位打者に輝いた。 | |
| 古葉 竹識 | 遊撃手として昭和39、43年に盗塁王を獲得。50年、広島監督に就任し、球団創設26年目で初優勝。その後、計3度日本一経験。 | |
| 近藤 貞雄 | 昭和18年にプロ入り、故障のため通算55勝で引退。しかし、投手コーチとして多くの投手を育成。57年中日監督で優勝を果たす。 | |
| 吉国 一郎 | 平成元年に63歳の高齢でコミッショナーに就任。ドラフトでの逆指名制度やFA制度などを推進した。 | |
| 2000 | 米田 哲也 | 「ガソリンタンク」と異名をとるタフネスぶりで通算350勝、3388奪三振、5130投球回は歴代2位。949登板は1位。 |
| 福島 慎太郎 | 毎日オリオンズ社長として球界の2リーグ制誕生に尽力。パ・リーグ会長として野球協約の作成に尽力。 | |
| 2001 | 根本 陸夫 | 昭和27年に近鉄入団。広島、西武などで監督を歴任。引退後は管理職の立場から西武、ダイエーの黄金期を演出。 |
| 小山 正明 | 兵庫・高砂高から昭和28年阪神入り。抜群の制球力と速球を武器に通算320勝を挙げた右腕。37年に27勝で阪神優勝に貢献。 | |
| 武田 孟 | 明大野球部長、全日本大学野球連盟会長などを歴任。日米大学野球選手権創設など学生野球の普及、発展に尽力。 | |
| 長谷川 良平 | 昭和25年に広島にテスト入団。167センチの横手右腕は30年に30勝するなど創設期のエースとして活躍。広島で監督を務めた。 | |
| 2002 | 山内 一弘 | 昭和27年、毎日に入団。35年には本塁打、打点で2冠。40年には阪神で史上初300本塁打達成。 |
| 鈴木 啓示 | 昭和41年に近鉄に入団。新人で10勝し、翌年から5年連続20勝。53年には10連続完投勝利。通算317勝。 | |
| 田宮 謙次郎 | 日大を中退し投手として阪神入り。4年後に野手に転向し33年に首位打者。打率3割を7回記録した。 | |
| 中沢 不二雄 | 初代パ・リーグ会長(昭和34~40年)。明大、大連満鉄野球部で活躍。第1、3回都市対抗優勝の経歴。 | |
| 生原 昭宏 | 早大からリッカーミシンへ進み、亜大監督を経て、米ドジャースで研修。日米の懸け橋として功績。 | |
| フランク・オドール | 米ナ・リーグで首位打者。日米野球開催の交渉役を務め、成功させるなど日米のプロ野球交流に尽力。 | |
| 正岡 子規 | 俳人ながら野球を日本に広めた。「野球」の命名者で直球、打者、走者、死球、飛球など邦訳した。 | |
| 2003 | 上田 利治 | 阪急・オリックス、日本ハム監督を歴任し、阪急・オリックス時代には4年連続を含む5度のリーグ優勝を達成。50年から3年連続日本一になり、“闘将”と称された。 |
| 関根 潤三 | 昭和25年から31年は近鉄投手として活躍。翌年から打者に。引退後、コーチを経て大洋(現横浜)、ヤクルト監督を務めた。 | |
| 松田 耕平 | 昭和45年、広島東洋カープ・オーナーに就任。米大リーグを手本に球団改革を進め、球団創設26年目の50年に悲願の初優勝をなし遂げた。 | |
| ホーレス・ウイルソン | 米メイン州出身。明治4年来日。翌年第一大学区第一番中学で英語、数学を教える傍ら、生徒に野球を教え、これが「日本の野球の始まり」と言われている。 | |
| 鈴鹿 栄 | 大正7年、現在の軟式野球ボールの原型となった「少年野球用ゴム球;実用新案第46870;大正7年10月16日登録」を考案した。 | |
| 2004 | 仰木 彬 | 昭和29年に西鉄入りし好守の二塁手として14年間プレー。監督としては89年に近鉄を率いリーグ優勝。95、96年はオリックスを2連覇(96年は日本一)させた。イチロー(現マリナーズ)を育てたことでも有名。 |
| 秋山 登 | 岡山東、明大、大洋では12年間で通算193勝をあげ、昭和35年には初優勝とMVPを手にした。 | |
| 2005 | 村田 兆治 | “マサカリ投法”で剛速球とフォークボールを駆使しロッテのエースとして活躍。1983年に右ひじを手術した後も復活。通算215勝177敗33S。最多勝1度、最優秀防御率3度。90年に史上2人目の40歳代2ケタ勝利も。 |
| 森 祇晶 | 巨人9連覇を支えた名捕手。1967年に日本シリーズMVP。86年に西武監督に就任し9年間でリーグ優勝8度、日本シリーズ3連覇を2度。その後、横浜監督も。 | |
| 志村 正順 | プロ野球創設期から活躍した名アナウンサー。沢村栄治投手の活躍を実況。その後、アナウンサーと解説者が組んでの、新しい野球放送を確立。 | |
| 2006 | 門田 博光 | 不屈の精神で野球技を極めた。歴代3位の通算567本塁打、3度の本塁打王に2度の打点王とパワフルな打撃で観客を魅了。南海-オリックス-ダイエーで活躍。特に88年は40歳にして全試合出場で44本塁打。125打点で2冠王に輝いた。 |
| 山田 久志 | サブマリン投法と呼ばれる華麗な下手投げで阪急(現オリックス)の黄金時代を支えた右腕。入団2年目に10勝すると以降17年連続で2ケタ白星をマークするなど通算284勝を挙げた。02年から03年まで中日の監督を務めた。 | |
| 高木 守道 | 3拍子そろった“ミスタードラゴンズ”として活躍。実働21シーズンで2282試合出場は中日の球団記録である。二塁手では最多のベストナイン7度。77年にはプロ野球タイ記録の4打数連続本塁打をマーク。92年から95年途中まで中日の監督を務めた。 | |
| 豊田 泰光 | 西鉄(現西武)の黄金時代を支えた名捕手。通算1814試合出場で打率2割7分7厘、263本塁打。69年の引退後は評論家、解説者として活躍。 | |
| 川島 廣守 | セ・パ会長経験者では初のコミッショナー。セ・リーグ会長を14年、コミッショナーを2期6年務めた。現役プロ選手と高校球児とのシンポジウム開催や、「新人選手選択に関する覚書」に調印するなどプロ・アマ協調体制を確立した。 | |
| 2007 | 梶本 隆夫 | 1954年に岐阜・多治見工から阪急に入団。高卒新人ながら開幕投手となり20勝をマーク。57年の9連続三振はプロ野球記録。現役20年間で通算254勝255敗。防御率2.98。867試合登板は歴代3位。引退後は阪急の投手コーチ、79、80年に監督を務めた。 |
| 松永 怜一 | 法大で内野手として活躍。法政一高、堀越(ともに東京)の監督を経て65年に法大監督に就任。田渕幸一(元ダイエー監督)、山本浩二(前広島監督)らを育てリーグ優勝6度と黄金時代を築く。71年から社会人の住友金属を率いて日本選手権を2度制覇。野球が公開競技だった84年のロサンゼルス五輪では日本代表監督として金メダルを獲得した。 | |
| 2008 | 嶋 清一 | 39年夏の甲子園で準決勝、決勝の2試合連続ノーヒットノーラン達成。 |
| 堀内 恒夫 | 巨人V9支えた203勝右腕。44イニング連続無失点に、ノーヒットノーランも。 | |
| 山本 浩二 | “ミスター赤ヘル”。主砲として4度、監督として1度のリーグ制覇。 | |
| 2009 | 若松 勉 | セ首位打者2回。セ通算最高打率.319残す。 |
| 青田 昇 | 本塁打王5回。巨人黄金時代の立て役者。 | |
| 大社 義規 | 日本ハム初代オーナー。プロ野球発展に貢献。 | |
| 君島 一郎 | 野球渡来の経緯など、国内野球の生い立ち紹介。 | |
| 2010 | 東尾 修 | 最多勝を2度獲得し通算251勝。西武の監督として97,98年リーグ連覇。 |
| 江藤 慎一 | 64,65年中日、71年ロッテで首位打者。史上初の両リーグ首位打者。 | |
| 古田 昌幸 | 選手兼監督で都市対抗優勝3度。日本野球連盟理事などを歴任。 | |
| 年度 | 氏名 | 寸評 |
| 2011 | 落合 博満 | プロ野球最多の三冠王3度。中日の監督として3度のリーグ制覇。 |
| 皆川 睦雄 | 南海で221勝。68年に防御率1.61、31勝で2冠を獲得。最後の30勝投手。 | |
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