ゴルフ日本シリーズ 記録アラカルト
第18回大会(1981年)で初出場の羽川豊が24歳の誕生日前々日となる23歳と363日で優勝を決めたのが最年少V。第13回大会に勝った前田の24歳がそれまでの最年少だった。
最年長優勝は第33回大会(1996年)の尾崎将司で49歳10か月。
- 初出場で優勝
- 第1回(1963年)の石井朝夫をはじめ、第2回の陳清波、第4回の河野高明、第8回の尾崎将司、第18回羽川豊、第24回D・イシイ、第26回大町昭義、第31回佐々木久行、第35回宮本勝昌の9人が達成した。ちなみに青木功の初出場は4位(第8回)、尾崎直道は12位(第19回)、川岸良兼(第27回)は9位、丸山茂樹2位(第30回)だった。
- 最多出場、最多優勝
- 尾崎将司の24回が最多。1971年の第8回で初出場Vを決めて以来、2003年の第40回大会までの24回。また、最多7度の優勝を決めている。
- 最多差優勝
- 第16回大会(1979年)に青木功が作った13打差。青木は通算14アンダーで、2位の新井は通算1アンダーだった。
- 優勝スコアのベスト
- 1996年の第33回大会で尾崎将司がマークした通算26アンダー。この時はコースのパーが72で、パー72のコースの日本記録となった。
尾崎将は第1日にコースレコードタイとなる10アンダー62、第2日は68で回り、通算14アンダーで前半をUターン。第3日は65、最終日が67だった。
- 1ラウンドの最少スコア
- 東京よみうりCCの1ラウンド最少スコアは、2007年の第44回大会でB・ジョーンズがマークした61が最少(パー70)。
それ以前では、1995年の第32回大会の3日目に田中秀道が62をマーク。1996年の第33回大会では尾崎将司も第1日に同じく62をマークした(いずれもパー72)。パー71に変更された97年には、2日目にクレイグ・パリーが62をマークした。
- 1ラウンドの最多スコア
- 東京でのワーストは第6回大会最終日に戸田が記録した84。第22回大会3日目に小林恵が「やはり」84の大たたき。 大阪(パー73)では83がワースト。第20回の第1日に尾崎直道が記録した。
- プレーオフ決着は4度
- 第9回大会(1972年)で尾崎将司と杉原輝雄が初のプレーオフ。3ホール目(3番ミドル)で尾崎がバーディーを決め大会2連覇を果たした。2度目は第18回大会(1981年)で青木と羽川のサドンデス決着となり、初出場の羽川が最初のホール(16番ミドル)でバーディーを決めて競り勝った。
1990年は尾崎直道と中島常幸が通算13アンダーで並び、3ホール目の16番で尾崎直がバーディーを決め大会2勝目を達成した。
1998年の第35回大会では宮本勝昌と尾崎将司がプレーオフ対決。4ホール目の17番ロングで宮本がバーディーを決めて初出場優勝を決めた。
第24回大会は(1987年)は初日と最終日が雪のため中止となり、プレーオフがさえできなかったため2者が優勝を分けた。
- ホールインワン
- 過去5人が達成。第1号は第32回大会(1995年)の第1日目に丸山茂樹が15番(194ヤード)で決めた。続く第33回では2番(190ヤード)で芹沢信雄が決めた。第34回では8番(197ヤード)でフランキー・ミノザで達成。圧巻は第35回。大会最難関ホールと言われる18番(195ヤード)でエドアルド・エレラが3ウッドで達成した。最後の5人目は第36回(1999年)でに河村雅之が8番でホールインワンしている。ちなみにエース達成者から優勝者は出ていない。
- 最終日の逆転
- 最終日の逆転劇は大小合わせて12回。7打差を逆転したのが最多差で第26回大会(1989年)の大町昭義と、第31回大会(1994年)の佐々木久行。大町は首位と7打差の4位で最終日を迎え、66の猛チャージ、首位にいた中島常幸が75と崩れたため優勝を手にした。初出場の佐々木久行は7打差3位から66の好スコアで尾崎直道を逆転した。
- 失格
- 第7回大会の3日目、大阪を2位で折り返した謝永郁は3日目の朝に乗った小田急線が事故でストップ、車中に閉じこめられスタート時間に間に合わず失格した。